コミックス派の方には重大なネタバレが含まれますので閲覧にはご注意ください。
最近チェンソーマンの感想をなかなか書くに書けなかった。
思うことがありすぎるようで脳内パニック→クールダウンという名の現実逃避で繰り返し読めない→翌週がくる
という流れ。
電子版講読なので月曜になるとまずスマホでジャンプを開き、目次からチェンソーマンに直行し、数回読んでそのままジャンプを閉じる。
他の作品を読む心的余裕がない。
とりあえず土曜発売っぽいので今頭に浮かぶこと、疑問などを書き散らかします。
総理大臣との契約
マキマが殺されても死なない理由が判明したが、マキマが死んだら日本国民の病気や事故に変換されるようにした対価はなんなのかが明確にはなっていない。
あとマキマが総理大臣を下に見ていれば支配し、契約を強制することもできたはずでは?
マキマの目的
死 戦争 飢餓など無くなった方が幸せなものをチェンソーマンに食べさせ、存在すらなくすことだと判明しました。
〜以下ちょっと逸れます〜
私はこの流れにジョージ・オーウェルの『1984年』を思い出しました。
数ヶ月前にチェンソーマンの考察のために読んだのですが笑
この作品の中の世界では公用語はニュースピークという言語、といってもベースは英語でものすごく言葉の種類を削り取ったものが使われています。
言語の統制をし、その言葉自体がなくなることで思想すらも統制しています。
例として出されていたのは「悪い」という言葉はなく、「良くない」という表現にすることで「悪い」という言葉は使わないようにすることができ、「悪い」という発想がなくなります。
他にも主人公は国を支配している党の都合のいいように歴史を改竄する仕事をしていたり…
しかし主人公はそんな社会で不幸せを感じ疑問を持ってしまうのです…
〜おわり〜
たとえそれらの不幸の元と思われるものたちを抹消したとして、すべての人が幸せになることなんてできるのでしょうか。
甚だ疑問です。
岸辺たいちょには生きてて欲しい…