おちゃうけ

このブログはてぃーの個人的所感を雑多に記すだけのブログです。

感想と考察:チェンソーマン第82話、81話(WJ2020年39号、38号)

※コミックス派の方や最新号を読んでない方には多大なネタバレを含みます。その点ご了承の上読んでください。






やっと本性あらわしたかマキマ…
ずっとこんな「普通」とはかけ離れた生活でポチタとの契約違反にはならないのかと気になってはいましたが、デンジにとっての普通以上の生活ができていればよかったのですね。

普通の暮らしをして
普通の死に方をしてほしい
俺の夢を叶えてくれよ
(チェンソーマン1巻p.35-36)

これは契約だ
私の心臓をやる
かわりに……
デンジの夢を私に見せてくれ
(チェンソーマン1巻p.39-40)

この契約を破棄させるために今までのデンジの生活はマキマによって仕組まれていたという…
今までの生活はその「普通」の水準が低いデンジの「普通」レベルを引き上げるため、マキマに仕組まれたことだったなんて…ショッキング…。
そして決定的な打撃として、今まであの扉の奥に隠されていたもの、父を殺した記憶まで暴かれました。

契約破棄するということは、
デンジの夢(普通の生活)をしない→チェンソーの悪魔の心臓をデンジにあげない
ということになると思うので、デンジから無理やり心臓を取り出さなくてもデンジと心臓を切り離せるということになるんだと思います。
もちろんデンジは死に、チェンソーの悪魔の心臓がフリー状態になる。のかな?
切り離された時に心臓はただの心臓でしかないのか、悪魔の形に戻ることがあるのか…あるいはデンジが悪魔でも魔人でもない状況からデンジの身体をチェンソーの悪魔が乗っ取り、魔人になるのか…。

やはり最大の謎はチェンソーの悪魔が一体なぜ狙われるのか、ということですね。
チェンソーの悪魔の力自体に何か特殊なものがあるのか、あるいはやはりマキマの元にさえなければいいのか。
マキマの元にあることでなぜ問題となるのか、ですが、今考えられる可能性は以下の2点かな…と思います。

  1. マキマにチェンソーの悪魔の能力を使われるとまずいことがある
  2. 支配の悪魔の天敵がチェンソーの悪魔である

1についてはマキマ(支配の悪魔)の能力が関係してくるのではないかと思います。
どうやら支配の悪魔には他の悪魔の能力を使うことができる能力があるようなので…。
ただし今のデンジの心臓となっている状態では他の悪魔の力を使う能力の条件が満たせないんでしょうね…。だから今の悪魔でも魔人でもない状態から変えようとしているのでしょう…。

2についてはチェンソーマンのタイトル由来について考えた時に思ったことも関わってきますが、英題が「chain saw man」なんですよね。
chainは鎖、支配を指しsawはノコギリで切るという動詞の意味もあります。
チェンソーはchainsawと繋げる表記もあるのにあえて区切る方にし、チェンソーと支配を断ち切るという2重の掛け言葉にしたのではないかと思っていたのでそうなると支配の力を切ることができる天敵なのではないかとも思えてくるのです。

まあ、妄想でしかないんですがね…。


以下先週書き損ねた81話感想


パワーちゃんだけは…助けて欲しかった。
完全にいつものマキマに怯えている表情をしていて…かわいそうだった。
正直先週はマキマがデンジに出してきたティラミスにも意味を見いだそうかと思ってました笑
ティラミスには「私を元気付けて」なんて意味もあるとか、精力剤的な使われ方をすることもあるとか…笑

ははは

しかしよくよく考えるとケーキをパワーちゃんに持って来させるくせにその前にティラミス食べさせるってどういうことでしょう。
普通に姫野先輩が言ってたみたいに性格がクソなんでしょうか…。
まあ、よく解釈すればケーキは食べられないことになるからティラミス食べさせてあげたのかな??

マキマが犬を好きなのはもちろん従順な存在か好きだからなんだろう。支配の悪魔的に。
2話で、デンジがマキマさんの好きな男のタイプを聞く場面で「デンジくん」と言うわけですが…これもあながち嘘ではなく、従順だから好きなタイプなわけですよね…おそろしい。

マキマさんの家の絵画、ギュスターヴ・ドレの『失楽園』への挿絵、ルシファーの堕天。
そもそもキリスト教では悪魔とは天使が傲慢や嫉妬を抱くことによってあるいは自由意志によって堕天したもの、らしい。
ルシファーは堕天し、サタンとなります。

うーん、何か暗喩しているのでしょうか。
しかしキリスト教や聖書、宗教絵画についての知識がないので憶測も立てられません。

しかし今まで出てきた悪魔、蜘蛛、蛇、罪、天使などキリスト教に関係ありそうな構成です。
蜘蛛も蛇もキリスト教において邪悪な存在のようですね。
なんなら今までお見舞いに出てきたリンゴすら禁断の果実のようにすら思えてきました笑
知識を表すので知ること・知らないことをそっと進めてきたチェンソーマンの話と遠からずかな…と。

なにより藤本タツキ先生自身東北芸術工科大学美術科洋画コース卒ということなので、洋画と宗教画は切っても切れない関係だと思いますしそのような前提知識込みでの作品だと思います。

うーん、知識が欲しい!