おちゃうけ

このブログはてぃーの個人的所感を雑多に記すだけのブログです。

<ネタバレあり>チェンソーマン改めて考察

※コミックス派の方、まだ最新号を読んでない方にはネタバレ要素ばっかりですので閲覧にはご注意ください。


最新第75話にて、現時点での年号が判明しましたね。
ソ連が存在することから1990年までだと思われていましたがなんと1997年でした。しかも秋田県にかほ市は2005年に制定されたので結局現実の時系列とはわざと異なるようにしているかも…と。

さて、今回はマキマによる最悪の平和とはなんなのか考えたいと思います。

銃の悪魔が現れた日は、13話のマキマの説明に寄れば13年前とのことなので1984年です。

ここで、「1984年」とは何か。
1984年でググっていただくと『1984年』というジョージ・オーウェルによる小説が出てきます。
この小説、後世にかなり影響を与えたらしいディストピア小説なんですね。私はまだ未読です。
ディストピアとは、ユートピア(理想郷)の対義語として用いられます。特によく表現されているディストピアは一見平和に見える世界ですが、その実徹底された統制・管理がされる社会

私が思うにマキマが目指す平和はこれなんじゃないかなと。なにしろ支配の悪魔ですから、統制・管理を自身がする世界になったら最高でしょうね。
そして支配することが好きなマキマですが、なぜ公安に属しているのか。
いや、公安ですからね。
過去、日本では公安による盗聴が明らかになる事件も起こっています。(しかもそれは1985年以降)だとすれば極秘ではあってもある意味公然と盗聴を行ったりして未然に犯罪(や自分に不都合な存在)を抹殺することができ、自らの支配によって平和を作ることができます。

39話でマキマが言っていた人生を変えられた映画とは何か、と考えるとこれが『1984年』である可能性もあります。
1984年』は日本では1984年に公開されたらしいです。
チェンソーマンの藤本タツキ先生は映画が好きで特別な存在だと思っていそうなので(ファイアパンチでの感じやチェンソーマンの演出上そう思える)、そういう話があってもいいかなと思います。

最新75話で、アメリカ大統領がこのように述べています「マキマを恐れさせ大きくしたのは我々人類の歴史に他ならない」「抗うことすら全て予定調和に過ぎないのかもしれない」

人類の歴史には必ず支配者がいました。
国内に独裁的な支配者がいる場合もあれば、他国により植民地とされていた場合もありました。
これらの歴史により人は支配されることをより恐れるのは必然です。

そして「…だが私は自由の国を背負う者」「ただで屈するわけにはいかないのだ」とも。

巷では自由と銃をかけているという説もありますが…どうなんでしょうか。

ところで自由の女神世界遺産登録年も1984年でした。関係ないと思うけど。アルドたちが映される前のコマで自由の女神が大きく映ってました。これも支配との戦い、自由の勝利を目指すことを暗喩しているのか…。

いずれにせよ、今後の展開がまだまだ楽しみで眠れませんね!!